yuumi1289のブログ

思ったことを出す場所。意味なんてない。

思考と私と

私は田舎の公立小学校、中学校に通っていた。
その学校は勉強の場ではなく遊び場になっていて、授業中は紙飛行機が飛び交い、火災報知器は何度もイタズラで鳴らされ、授業を抜け出す生徒は多発、毎日のように何かしら事件が起きていて、虐められっ子だった私は、千切った消しゴムを投げつけられるターゲットとなっていた。

女子は私を腫れ物扱い、男子は虐める側。私は狭い世界で孤立していた。友達もいなかった私は休み時間は保健室か図書室に逃げ込み、ずっと本を読んでいた。

本はいい。好きだった。初めはハリーポッターとかダレンシャンとか。中学生になったら、ラノベキノの旅とかとある魔術の禁書目録とか読んでいた。
私は暇さえあれば本を読む子供だった。


所詮田舎の公立学校。そもそも真面目に勉強してるやつのほうが少ない。その中で私は成績上位者だった。私は皆を馬鹿だと思うことで精神安定を図った。顔にツバを吐きつけられても筆箱がゴミ箱に捨てられても相手は猿みたいなものだから仕方がない。と思うことにした。


先生は私をよく気にかけてくれていた。虐めっ子の親と私の親を学校に呼び、話し合いの場を設けてくれたこともある。私の親は来てくれなかったので一人で対応したけれど。相手の親は凄く謝ってくれた。

馬鹿しかいない学校だから私は虐められるんだ。
そう思ったので高校受験を頑張った。元々勉強は好きだった。スマホも友達もいない必然的に娯楽は勉強だったので、辛くはなかった。


高校に入った。
友達の作り方なんて全然わからなかった。
私はまた、孤立した。中学とは違い、虐められはしなかった。そんな面倒なことに関わる子はその学校にはいなかった。頭がいい。

私は気づいた。『周りが馬鹿だからじゃない。私に問題があるから私は普通に生きていけないんだ。』
かつて母親が私に言った『虐められるなら問題はあんたにあるんじゃないの』という言葉がずっしりとした重みで私を押しつぶしていく。

さらに、テストは下から2番目の順位。『頭がいい』というだけで精神安定を図ってきた私には辛すぎた。

弟はテストの点数が良かったので、母親から可愛がられた。兄弟間格差も追い打ちをかける。『頑張っても結果が出なければ意味ないよ』『愛されたいなら成績上げろ』

私は勉強を好きだから続けられていた。私は勉強できなくなった。


唯一の趣味を奪われた私は凄い勢いで人生を転がり落ちていった。もうだめだ、だめなんだ。
ベッドの上で1日を何度も繰り返した。


アニメもゲームも所詮私にとっては暇つぶしだった。心を満たされることはなかった。
やればやるはど自己嫌悪で張り裂けそうだった。
それでも現実が辛くてやめられなかった。


どうしたら幸せになれるのか、本を読み漁った。
政治や学校制度がおかしいと思って新書を読んでみたり、太宰治人間失格を読みながらあああ~と発狂したりしていた。


最終的にこの世を理屈で生きていこうと哲学に昏倒したりした。私は実利を一切考えられなかったので、絶対的な真実を探していた。



真実さえ分かれば、私は生きていけると思った。


納得できる答えは出ず、結果、真実はなく、あるのは解釈だけで意味なんてない、そもそも理屈をいくら捏ねても、無意識の領域についてはどうしようもない、なにもかも信じられないとか思い、ニヒリストになったりした。


私は馬鹿なのかもしれない。
理屈をこねくり回して結局答えはでなかった。


成人式に地元に帰ると、かつての虐めっ子は楽しそうで、、、。ある意味凄く羨ましかった。

やり返そうとかは一切思わなかった。私は人が楽しいと楽しいし悲しいと悲しいから。


私は頭がいいと思っていたけれど、そうじゃない。ただ考えずにはいられない、思考オタクだった。


人生死ぬまで勉強といった人がいる。私は本だけ読んで理解しようとした大馬鹿なのだ。やってみなきゃわからないことが世の中にはたくさんあることを知った。


私が、馬鹿にしてきた沢山の人は私よりずっと広い視点でものを考え生きてきていた。
そういったことに気付かされた。


思えば頭が悪いと思った人にしても、尊敬できる点は沢山あった。私ができないことを簡単にこなしていく。私には欠けている視点感じ方行動で生きていた。それを一概にこれはこうだこれが正しい、と断定できるものなのだろうか。


人を、馬鹿にしてはいけない。


他人は自分とは違う人間だ。同じものを見ても、聞いてもやっても、同じように見え、聞いて、感じるなんていうのは思い込みだ。


私の母親にしてもそうだ。
私と母親は相性が悪かったのだ。親が言ったことは一理ある。
母親だって別に私を傷つけようとしたわけではない。
現実的な解決手段を提示しただけだ。
そこに悪意はないと思う。


私は、母親の貼り付けたような笑顔が嫌いだけれど、悪者にしてしまうのはまた違う話だ。

人は自分の正義で生きている。それが私と相容れなかったとしても、それは仕方のないことだから。


寧ろ、叱ってくれる人が居るのは有り難いことだ。
自分では気づかなかった考え方を知れるから。
それを踏まえてどうすればいいか決めればいい。


絶対的な真実など存在しない。
勿論世間の流れとして、これが正解と“されている”ことはある。

発達障害精神疾患を持っている人、世間から外れた人は非難を得やすい。
でもそのひとにとって正解ならそれは絶対的に正解なのだ。


正解と“されている”ことに沿うのも沿わないのも自由だ。どっちが正解だなんて、自分で決めること。
勿論、正解と“されている”ほうに進んでいくのも選択肢としていいと思う。普通にしていれば非難されないし、楽だからそれができる人は、そうすればいい。